福岡の農業を支えた功績を偲ぶ 稲害虫駆除に尽力した益田素平氏の頌徳祭
2025.10.31
ニュース

JA筑後地区センターは10月17日、稲の害虫被害に苦しむ農家を救った農学者・益田素平氏(元二川村)をたたえる頌徳祭を同センターで開きました。益田氏の遺族や行政関係者、深町光治JA筑後地区理事代表など32人が参列しました。
式典では、二川小学校4年生22人が益田素平氏の生涯を題材にした紙芝居を披露しました。児童らは一人ずつ読み手となり、稲の病害虫に立ち向かった努力や苦労を力強い声で参列者に伝えました。
益田素平氏は1843年生まれ。稲が枯れる原因を探るため独学で研究を続け、害虫「三化めい蛾(さんかめいが)」が主な要因であることを突き止めました。対策として、稲刈り後に稲株を掘り起こし、害虫を駆除する「稲株掘り起こし法」を考案。当初は受け入れられず「筑後稲株騒動」として反発も起きましたが、効果が実証されるにつれ次第に受け入れられ、戦後に農薬が普及するまで全国的に広まりました。
現在、同センター敷地内には益田素平氏の功績を称え、銅像が立っています。
式典では、二川小学校4年生22人が益田素平氏の生涯を題材にした紙芝居を披露しました。児童らは一人ずつ読み手となり、稲の病害虫に立ち向かった努力や苦労を力強い声で参列者に伝えました。
益田素平氏は1843年生まれ。稲が枯れる原因を探るため独学で研究を続け、害虫「三化めい蛾(さんかめいが)」が主な要因であることを突き止めました。対策として、稲刈り後に稲株を掘り起こし、害虫を駆除する「稲株掘り起こし法」を考案。当初は受け入れられず「筑後稲株騒動」として反発も起きましたが、効果が実証されるにつれ次第に受け入れられ、戦後に農薬が普及するまで全国的に広まりました。
現在、同センター敷地内には益田素平氏の功績を称え、銅像が立っています。
